はっとした瞬間
この絵は、18才の娘が、2才のときに描いたもの。
第2子の長男が生まれたばかりのその当時は、周りに頼る身内もいなくて、私はますます育児にゆとりがなくなっていた。
寂しそうな娘の顔を見ても、「お姉ちゃんだから、少し我慢してね」と言うのが精一杯だった。
そんなある日、保育園から持って帰ってきた娘のお絵描き帳をパラパラとめくっていて目に飛び込んできたのが、この絵だった。
頭をがーんと殴られたくらい、衝撃的だった。
なぜなら・・・
卒論で子どもの絵をテーマにしていた私は、「絵には想いが込められている」と思っていたから。
色の組み合わせ、ストローク、どれも母親である私に対する激しい求愛を訴えていた。
娘の寂しさをわかっているつもりでいたが、実際に突きつけられると、胸が痛み深く深く反省した。
それからは、できるだけ娘に寂しい思いをさせないように心がけた。
今のように、携帯もないし、行政の子育て支援事業も整備されていなかった時代。
ましてや運転すらできなかった私は、誰とも会話する事もなくほとんど一人ぼっちの育児の毎日だった。
笑顔を忘れた私は完全に育児うつだったと思う。
ようやく同じアパートに同年代の子どもたちのママ友が何人かでき、大人と会話するようになって楽になった。
母親の心を取り戻してきた。
でも、夜遅く、主人が帰ってくるまでの間は、不安と悲しみで泣いてばかりいた。
カラーメモリーで振り返るその頃の私は、彩りのない暗い闇の世界。
もし、ママ友たちがいなかったら・・・と考えるだけでも、ぞっとする。
あの時の娘の寂しそうな顔、余裕のない私。
そんな育児の経験をしたからこそ、「子育て・ママ支援」には、特別な思い入れがあるかもしれない。
今、子育てに奮闘中のママたちへ。
たくさんの方に支えてもらっていたあの頃の私。
今度は何か私にできる事があると嬉しいな。
そんな、想いが届くといいな。
娘の描いたこの絵は、ゆとりのない私をはっと気づかせてくれた絵でもあり、私をカラーの道へと導いてくれた絵でもある。
今現在の私が大事にしているのは、学生時代に主流だった絵画診断ではなく、絵を描くプロセス。
色あそびを通して、溢れ出る想いに寄り添う。
だた、それだけ。
それだけで、十分だと思っている。
心と心がつながりますように。
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